専業大家を辞め町工場で働き始めて一週間が過ぎた。毎日が長く感じる。
初体験ばかりの毎日だ。昨日は初めてマニュアルのロング2tトラックを運転した。クラッチが深く最初は戸惑ったがもう慣れた。
将来経営するにあたり営業、工場、現場と全て一通り体験しておく必要がある。
現場は主にマンションだ。自分の仕事をしていると上ではタイルをカットしている工具の音が鳴り響き粉塵が舞って落ちてくる。
部材を取り付ける階まで荷上げをすると真冬なのに汗をかく。荷上げの後も設置場所まで運ぶ。
職人さんは「落ちないように気を付けてね❤️」と軽く注意してくれる。五階から見下ろす外壁と足場の間は地面が遥か下に見える。
足場の登り下りだけでも大腿筋に負荷がかかり大分ハードだが筋トレだと思い込んでいる。
工場作業も半戸外空間なので寒さとの戦いだ。陽の光が差し込んでいた時気付いたが中もかなり埃っぽい環境だ。
社員さん達は毎日帰りが22時を回っている。それでいて工事担当は朝6時半に家を出るという。仕事が終わらないので本日日曜日も出勤しているようだ。
寝不足、疲労。聞こえてくるのはため息ばかり。給料は400万に満たないという。
思いっきりブラック企業である。ブラックフライデーならぬブラックエブリデイである。
色々と改善点はある。まず全ての源である営業活動を強化して後々問題になる受注を避ける事だ。
その為には見積もりを覚えないといけない。見積もり依頼に対してはとにかくレスポンス速度が大事だ。
一週間終えて思う事。徐々に社員さん達の待遇を改善したい。しかし裏を返せば売り上げが下がることにもなり得るので注意が必要だ。
自分の営業力で上手くいかないまま事業承継した場合ブラックな雇用を続けていかなければならないのだろうか。そうはなりたくない。
良い道はあるはずだ。まだまだ勉強が足りない。
前職の勤め人と比べてしまうと環境に雲泥の差がある。当たり前か。想像はしていたが実際に四十過ぎて工場労働者はきつい。事業承継とはいえ、だ。
社長も無難に承継したいので他の社員さん達に私が嫌になるような作業をさせたり遅くまで仕事させないように話してくれてはいる。
それにあまり甘えるのもどうかとは思うが身体が参らないようにしっかり調整していきたい。
時々何で私はこんな事をやってるのかと思う時があるが苦行にもおそらく意味があるのではないかと考えている。
やりたい事かと言われれば首を捻る。ただ専業大家をやったり雪国でヘルパーをやってみて分かった事は私はチームで仕事をして喜びを分かち合ったり助け合ったりするのが好きだという事。
セミリタイアで家に居れば子供と過ごす時間が増えると思っていたが時既に遅し。中学生になれば親離れで一緒に居たいとは思わない。自分の過去を振り返れば納得。自然な事である。
やはり人生計画は自分だけでなく家族の年齢も含めて考える必要がある。自分が歳を取れば子供も親も歳を取る。
そして私の頭髪も後退した。AGAクリニックに行こうにも時既に遅し。日曜しか休みがないので身動きが取れん。
貴方の人生は計画的に。